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札幌の交通インフラはどのように造られた?

投稿日|2022年9月26日 (更新日:2023年11月8日)

主要都市には欠かせない充実した交通インフラ。
札幌の交通インフラはどのように造られていったのか、北海道の歴史を振り返りながら解説します。

1.日本初の鉄道運行が行われた町

 現在の札幌市は、JR・地下鉄・市電が揃っており利便性が優れた街であると言えます。定山渓方面や清田区の一部を除けば札幌市内の移動は車がなくても容易に可能であり、観光客の足としても多く利用されています。明治期に北海道の本格的な開拓が始まって以降、札幌はたった150年あまりで大発展を遂げてきた歴史を持ちます。こうした札幌の大発展を支えてきた交通インフラは、一体どのように造られていったのでしょうか。
 余談ではありますが、北海道岩内町に造られた「茅沼炭鉱軌道(かやぬまたんこうきどう)」が日本初の貨物鉄道でした。明治2年に、北海道最古の炭鉱である「茅沼炭鉱」で採掘された石炭を輸送する目的で造られました。当時の線路は木製であり(のちに鉄製となる)、人力や牛力によるトロッコ式の鉄道でした。貨車は一度に4トン積むことができ、北海道の炭鉱事業を大いに支えました。
 昭和6年、選炭場から岩内港までの索道(さくどう:ロープウェイやゴンドラのような空中の交通機関)が造られたことにより茅沼炭鉱軌道は廃止されました。その後、昭和中期に起きたエネルギー革命により石炭の需要が大幅減少したことから茅沼炭鉱は閉山しましたが、現在もなお炭鉱の跡地は残っています。正史や歴史資料がほとんど残っていないため、北海道民の方でも、岩内町が貨物鉄道の発祥地である事実を知る方は少ないのではないでしょうか。

2.鉄道の普及

 明治13年、小樽市手宮~札幌間を結ぶ官営幌内鉄道(かんえいほろないてつどう)の終点として札幌駅が開業しました。日本各地で鉄道が普及し始めた時代であり、官営幌内鉄道は全国で3番目に開業した鉄道でした。
 この当時、本州の鉄道は全て「イギリス製の蒸気機関車」でした。しかし、官営幌内鉄道では、日本ではそれまで前例のなかった「アメリカの最先端技術を用いた蒸気機関車」が採用されました。北海道や札幌の開拓のため、アメリカから様々な分野のお雇い外国人を招いていたことが要因です。連結器(鉄道の車両同士を結合し、牽引時の力を伝達する部品)と呼ばれる装置も、アメリカで普及していた「ミラー式自動連結器」が日本で初めて採用されます。それまで本州では「リンク式連結器」と呼ばれる手動の連結器が主流でした。この官営幌内鉄道を筆頭にミラー式自動連結器は全国各地に普及し、日本の鉄道業界に大きな影響を与えました。官営幌内鉄道の開業から140年が経過する現代でもなお、ミラー式自動連結器は日本全国の鉄道に採用され続けています。

〈ミラー式自動連結器〉
連結器

 昭和36年、北海道で初めての特急列車「おおぞら」が運行を開始します。この当時、北海道の鉄道は山岳を走る「山線」が主流でしたが、「おおぞら」はあえて海岸沿いを走る「海線」でした。海線は山線に比べて遠回りになりますが、勾配が緩いため乗り心地が良い・室蘭や洞爺湖などの観光地も通れるといったメリットがありました。多くの北海道民が注目した「おおぞら」の運行開始をきっかけに、海線は道内全土にたちまち普及していきました。
 昭和63年、海底トンネルとして世界一の長さを誇る青函トンネル(全長53.85km)が開通します。この青函トンネルの開通により、「北斗星」「カシオペア」「トワイライトエクスプレス」といった寝台特急が続々と運行を開始しました。現在、これらの寝台特急は廃止されていますが、ホテルとレストランを組み合わせたような体験が出来る寝台特急は、北海道民や全国の鉄道ファンから大いに愛されていました。

〈特急 おおぞら〉
特急おおぞら

〈寝台特急 北斗星〉
寝台特急北斗星

 

関連記事:北海道の顔「札幌駅」の歴史

3.札幌市電の運行開始

 明治42年、札幌郊外の石山地区で算出される「札幌軟石(さっぽろなんせき)」と呼ばれる石材を輸送するため、石山~南2条西11丁目の区間に馬車鉄道線が敷設されます。馬50頭・馬車鉄道18台が常時運行し、石炭だけでなく乗客の運搬も行っていました。この馬車鉄道こそが、札幌市電の始まりです。
 大正初期、北海道の開拓50周年を祝う「北海道大博覧会」が札幌・小樽で開催することが決まります。この博覧会開催をきっかけに馬車鉄道を路面電車化することが決まり、博覧会に間に合わせるべく急ピッチで軌道工事が行われました。車両はイギリスから輸入する予定でしたが、第一次世界大戦の影響により海上輸送が困難となったため、急遽、名古屋の鉄道会社から中古の車両を譲り受けました。こうした混乱から、博覧会の日程に合わせた開業は惜しくも叶わず、博覧会から11日後の大正7年8月12日に札幌市電は開業しました。

〈昭和時代の札幌市電〉
昭和の札幌市電

 開業以降、毎年のように軌道の新設・延長が行われ、昭和6年にほぼ全ての軌道が開通しました。しかし、昭和15年頃に第二次世界大戦が勃発し、札幌市電も戦争による影響を受けます。節電のため、終電の繰り上げや停留所の統廃合が行われる事態に見舞われました。さらに、徴兵制度によって乗務員の男性が不足していたことから、女子挺身隊(じょしていしんたい:未婚女性で編成される勤労奉仕団体)によって乗務員不足が補われました。
 終戦後の昭和39年、札幌市電は最盛期を迎えます。戦争による混乱が落ち着いたことで街に活気が戻り出し、札幌市電は年間で約1億168万人を輸送していました。しかしその後、札幌冬季オリンピック開催へ向けて札幌市営地下鉄が建設されたことをきっかけに、札幌市電の需要は減少していきます。札幌駅前通りを始めとする多くの路線が廃止となり、最盛期に全長25kmあった路線は、2022年現在、全長8.9kmまで縮小しています。
 札幌市電の規模は大幅に縮小しましたが、平成13年、”北海道の歴史や文化として次世代に継承したいもの” として札幌市電は「北海道遺産」に選定されています。現在も運行している「ポラリス」という車両は、白と黒を基調としたシックな美しいデザインであることから、平成25年のグッドデザイン賞を受賞しました。

〈ポラリス〉
現代の札幌市電

4.札幌市営地下鉄の運行開始

 昭和46年、全国4番目の地下鉄として札幌市営地下鉄が開業します。翌年に札幌冬季オリンピックが開催予定であったため、真駒内セキスイアリーナや大倉山ジャンプ場などの会場と札幌中心部を結ぶ交通手段として開業しました。
 当時の日本では前例のなかったフランス由来の「ゴムタイヤ形式」の地下鉄であったことから、オリンピックと共に札幌市営地下鉄も大いに注目を集めました。札幌に地下鉄を建設するにあたり、当時の札幌市長や交通局長がヨーロッパ諸国を視察しており、パリの静音性に優れたゴムタイヤ形式の地下鉄に大変感動したことから導入が決定しました。
 札幌市営地下鉄の建設当時、札幌の人口は80万人程でした。大都市とは呼べない人口であったことから、当時の大蔵省(現在の財務省や金融庁)は赤字になることを恐れ、地下鉄建設の補助金給付に難色を示していました。当時の議事録には、” 大蔵省から「中山峠には熊が出るそうだが、そんな所に地下鉄を造って熊でも乗せるつもりか」と揶揄されたが、交通局長は「熊でも金さえ払えば乗せますよ」と強気に発言した ”というやり取りが記録されています。ここでもし交通局長が怯んでいれば、いまの札幌市営地下鉄は存在していなかったかもしれません。
 開業当初は南北線しか存在していませんでしたが、札幌市の発展に伴い、昭和51年に東西線、昭和63年に東豊線が開業しています。地下鉄は積雪の影響を受けないため北国の気候に強く、「札幌市民の足」として現代でもなお重役を担っています。

5.今後どうなる?

 平成28年、新青森駅と新函館北斗駅を結ぶ北海道新幹線が開通しました。さらに令和12年度末には、北海道新幹線の札幌延伸開業を予定しています。札幌から函館まで、車移動の場合は4~5時間かかりますが、新幹線であれば約1時間程で移動することが可能となります。北海道と本州の行き来も容易になるため、新幹線の札幌延伸によって観光客の大幅増加が期待できます。観光客増加によって札幌の交通インフラ需要が高まった場合、「札幌市民の足」である札幌市営地下鉄の延伸もあり得るかもしれません。
 北海道は広大な土地ゆえ、車での移動には限界があります。新幹線の札幌延伸によって交通手段の選択肢が増えることで、観光客だけでなく道民の外出需要も期待できるのではないでしょうか。

〈北海道新幹線〉
北海道新幹線

 

 

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