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北海道の顔「札幌駅」の歴史

投稿日|2022年8月31日 (更新日:2023年11月8日)

わずか11坪の仮小屋から始まった札幌駅。北海道を代表する大規模民衆駅になるまでの歴史を解説します。

1.初代の札幌駅はわずか11坪だった

 北海道の顔、そして札幌の玄関口でもある札幌駅。今でこそ毎日多くの老若男女が行き交い賑わっていますが、明治初期の時代、札幌駅は存在すらしていませんでした。
 明治13年、小樽市手宮~札幌間を結ぶ官営幌内鉄道(かんえいほろないてつどう)の終点として初代札幌駅が誕生しました。この当時の駅舎は、現在の札幌駅が建っている土地とは少し離れた「北区北6条西3丁目」に建設されました。札幌駅が建設された目的は、三笠市の豊富な石炭を小樽港に運ぶためであり、旅客輸送は二の次であったと言われています。そのためか初代駅舎はわずか11坪の仮小屋であり、現在の華やかで近代的な札幌駅とは遠くかけ離れた姿でした。
 手宮駅を出発した蒸気機関車「弁慶号」が初めて札幌駅に到着した際には、札幌市民から多くの歓声が挙げられました。当時の札幌市民は、わずか11坪の仮小屋で開業した札幌駅が、いずれ北海道を代表する駅になるとは思ってもみなかったでしょう。
 この当時、札幌駅は「札幌停車場」、札幌駅前通りは「停車場通り」という名称で呼ばれていました。

〈官営幌内鉄道〉
官営幌内鉄道

2.鉄道開通がもたらしたもの

 札幌駅の開業は、札幌中心部が繁栄する大きなきっかけとなりました。石炭を始めとするあらゆる物資の輸送が鉄道を通して安定的に行えるようになったことで、札幌市内の物価が一気に下降しました。物価が下降すると、道内各地の人々が移住者として札幌へやってきました。さらに、移住者による大幅な人口増加によって旅館や商店が続々と開業し、駅前通りの商業は瞬く間に活気づきました。
 開拓使判官として札幌市内の土地割りを行った島義武(しま よしたけ)は、「創成川沿いの道が札幌のメインロードになるであろう」と考えていたため、まさか駅前通りがここまで繁栄するとは想定していなかったのではないでしょうか。
 明治15年、仮小屋が取り壊され二代目駅舎が誕生します。二代目駅舎は211坪の木造平屋建てであり、待合室や切符売り場が新たに新設されました。同年に、江別・岩見沢・幌内までの延伸開業も行われ、札幌駅は終点ではなくなりました。
 二代目駅舎は、現在の札幌駅が建っている場所に建設されました。札幌市の標高図を見ると分かりますが、現在の札幌駅は、ちょうど標高が変わる境目に建てられています。そのため、札幌駅の南口は段差なく改札まで進めますが、北口は階段を上らなければ改札まで進めないという現在の構造になりました。
 また、明治期から札幌駅の南口が「駅前通り」として栄えていますが、北口が栄えなかった歴史には理由があります。北口方面の土地は地下水が湧き出やすい不安定な地盤、南口方面の土地は建物を建てやすい安定した地盤であるためです。さらに、南口方面は安定した地盤が広範囲に続いているため、札幌駅から大通駅に向けて街が発展していったと考えられています。

3.変貌を重ねた駅舎

 明治40年、二代目駅舎が火災を被ったことから三代目駅舎が建設されます。三代目駅舎は、二代目よりさらに規模を拡大した838坪の木造2階建てとなりました。建替えの度に駅舎の規模が大幅に拡大している事実から、札幌市内が飛躍的に発展していった歴史が読み取れます。
 三代目駅舎は、当時の最先端技法を用いたルネサンス風のハイカラな建物でした。北海道や札幌の開拓には複数のお雇い外国人が深く関わっているため、ルネサンス風の駅舎が造られたと考えられます。この当時、多くの人々が西洋文化に強い憧れを持っていたため、札幌市民から大評判の駅舎でした。四代目駅舎に建替えされるまでの約45年の間、札幌市民から長く愛され続けました。現在は、札幌市厚別町にある「北海道開拓の村」に当時の姿が復元され、施設の正門として使用されています。

〈三代目駅舎 大正時代の様子〉
大正時代の札幌駅

〈北海道開拓の村に復元された三代目駅舎〉
三代目の札幌駅

 昭和27年、四代目駅舎が建設されます。この四代目駅舎の建設を境目に、札幌駅は 「民衆駅」(駅舎の建設を国鉄と地元が共同で行い、その代わりに商業施設を設けた駅)となりました。この当時、民衆駅は全国的にみても珍しい形態でありましたが、札幌駅に導入されたことをきっかけに、道内各地の駅に採用されるようになりました。四代目駅舎は、地下1階・地上4階建ての鉄筋コンクリート造で、地下には「ステーションデパート」(現在のアピア)と呼ばれる地下商店街がオープンしました。

4.高架駅となった経緯

 昭和46年、札幌市営地下鉄が開業します。それまで駅前通りの交通には市電が利用されていましたが、地下鉄の開業によって駅前通り区間の市電は廃止されました。
 こうした地下鉄の開業や、昭和47年に開催された札幌オリンピックの影響により、札幌駅周辺はさらなる発展を遂げていきます。交通網の整備が追い付かないほど急激な発展であったことから、札幌駅周辺では ”開かずの踏切” が多数発生していました。
 昭和63年、この踏切問題を解消する目的から、札幌駅を高架駅へと改築する工事が行われます。高架化によって、道路の混雑緩和・踏切事故の減少といった効果を得ました。さらに、それまで鉄道施設によって南北に分断されていた道路が繋がったことで、札幌駅周辺の街づくりに拍車をかけたと言われています。平成30年、札幌駅は高架駅として開業してから30周年を迎えました。

5.進む再開発事業

 令和4年現在、札幌駅周辺では北海道新幹線の札幌延伸へ向けて着々と工事が行われています。さらに、札幌駅周辺のあちこちの土地で、再開発事業やビルの建替工事が進められています。ビルの耐用年数はおよそ50年と言われており、札幌中心部の多くのビルがこの50年を迎える節目であるためです。札幌市は、ビルの容積率・高さ制限の緩和を行うことで再開発事業を後押ししています。
 特に大規模な高層ビル工事が進められている土地は、「北5条西1丁目」「北4条西3丁目」「北8条西1丁目」の3箇所です。特に「北5条西1丁目」は、地下4階・地上43階・高さ245メートルの超高層大型ビルの建設を予定しています。北海道で一番高い建物である「JRタワー」が173メートルであるため、この超高層大型ビルが完成した場合は道内最大級の建物となる予定です。高階層には高級ブランドホテル、中階層にはファミリー向けホテルやオフィス、低階層には商業施設やバスターミナルが造られる見通しです。札幌市が招致を目指している2030年開催のオリンピックに間に合わせるため、2028年中の完成を目指しています。

〈JRタワー周辺〉※中央左の建物がJRタワー
JRタワー周辺

〈現在の札幌駅〉
札幌駅

 初代札幌駅が誕生してから約140年経過する今、急激な発展を遂げてきた札幌駅周辺はさらなる近代化へ歩みを進めています。この大規模な再開発事業によって、コロナ禍によって失われてしまったインバウンド需要の回復も期待できるのではないでしょうか。

 

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