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「札幌」が大都市へ発展した歴史とは?

投稿日|2022年6月29日 (更新日:2023年11月8日)

開拓からたった150年あまりで大都市へ発展した札幌市。
どのような経緯で発展していったのか、なぜ札幌が都に選ばれたのか。
北海道の歴史を振り返りながら解説します。

1.アイヌ民族との交流

 北海道はかつて「蝦夷地」という名称で呼ばれていました。この名称が生まれた当初は「律令国家に従わない東北以北の地域」を意味する言葉でした。律令国家の支配が蝦夷地にも広がったことをきっかけとして、江戸時代には「主にアイヌ民族が住んでいる地域」を意味する言葉となりました。
 鎌倉時代、蝦夷地は罪人の流刑地として利用されていました。この時代の幕府は蝦夷地の開拓など全く眼中になかったため、北海道として開拓され始めるのはまだまだ先の話です。
 幕府は、津軽の大名であった安東氏(武士の一族)を ”罪人の監視役” に任命します。安東氏は、アイヌ民族との交流にも尽力し、「和人が育てた農産物 ⇔ アイヌ民族が狩猟で得た獲物」を物々交換する関係を築きました。しかし、アイヌ民族との関係を深めていく一方で、蝦夷地の漁業にまで手を出す和人が出てきます。しだいに和人が漁業を独占するようになったため、アイヌ民族の間では反和人感情が芽生えていました。1669年、反和人感情を持ったアイヌ民族によって ”シャクシャインの戦い” が起こされ、和人355名が殺害される事態へと発展しました。この戦い以降、しばらくの間は、蝦夷地における和人の行動が幕府によって規制されました。

〈アイヌ民族〉
アイヌ民族

 江戸時代後期、ロシアからの軍事的圧力が急激に強まります。ロシアに対して危機感を募らせていた幕府は、全容を把握できていなかった ”千島列島” の地図を作製することを急務とします。測量家の伊能忠敬・探検家の間宮林蔵の2名を国後島に派遣し、千島列島の地図を作製させました。この2名の活躍により、19世紀になってようやく、蝦夷地の地形全容が日本全土の和人に知られたのです。
 この頃の蝦夷地は、商品の売買を繰り返しながら日本海を航行する「北前舟」によって大阪と航路で結ばれていました。北前舟には数多くの遭難記録がありますが、蝦夷地と大阪を一往復すると1000両もの利益(現代の6千万~1億円相当)を得ることが出来ました。そのため、身分に関係なく大金持ちになれる船乗りを目指す庶民が数多くいました。

〈北前舟〉
北前舟

 北前舟による交易が発展したことをきっかけとして、松前を中心に和人地の開拓が進められます。しかし、和人地の開拓が進められる一方で、またしてもアイヌ民族の生活圏が脅かされます。アイヌ民族は、商人によって漁場や土地を強奪され、奴隷のような扱いを受けるようになっていきます。1789年、和人に不満を募らせたアイヌ民族は、シャクシャインの戦いに続いて ”クナシリ・メナシの戦い” を起こします。アイヌ民族は、商人や商船を次々と襲撃し、和人71名を殺害しました。この戦いによって、蝦夷地の交易は幕府の管理下に置かれ、アイヌ民族への迫害や不正を防止する措置が取られました。しかしその半面、今まで自由な交易を行っていたアイヌ民族も幕府の経済体制に取り入れられました。
 民族は違うが同じ人種の和人にも容赦なく反発するアイヌ民族は、ロシアにとって「脅威」の存在だったようです。アイヌ民族が幕府の支配下に置かれると、すぐにロシアは江戸幕府に対して通商交渉を持ちかけます。しかし、ロシアを警戒していた江戸幕府はこの通商交渉を断ります。この出来事をきっかけにロシアの南下政策が動き出し、1806年には択捉島や樺太がロシア人に襲撃される事件が次々と勃発しました。江戸幕府は、対ロシア対策として、東北6藩(仙台、会津、秋田、庄内、南部、津軽)に蝦夷地の開拓や警備を担当するよう命じました。

2.蝦夷地開拓のきっかけ

 1868年、明治維新をきっかけとして、蝦夷地の本格的な開拓が始まります。政権が”幕府”から”政府”に移り変わった事実を日本全土に知らしめるため、蝦夷地の開拓を任務とする「開拓使」を政府内に設置しました。開拓使が設置されて間もなく、政府官僚であり探検家でもあった松浦武四郎によって、蝦夷地の名称が現在の「北海道」に改名されます。松浦は当初、「北加伊道」「日高見道」「海北道」「海島道」「東北道」「千島道」の6案を提出していました。「加伊」は、アイヌ語で ”この地に生まれた人” という意味を持っており、アイヌ民族への敬意を込めて「北加伊道」が選ばれました。最終的に「加伊」に「海」の字をあて、現在の「北海道」に決定されました。
 全方位を海に囲まれた北海道では海洋業が盛んであったことから、開拓当初は函館や小樽といった港町に多くの人々が住んでいました。この当時の札幌は一面原野の状態で、居住者はわずか7人であったと言われています。それではなぜ、多くの人々で賑わっていた函館や小樽ではなく、札幌が道都に選ばれたのでしょうか。
 札幌が道都に選ばれた経緯には、北海道の名付け親である松浦が大きく関係しています。北海道全域を探検した松浦が「札幌は平野であり、水が湧き出る強固な地盤を持つ土地であるため道都に適している」と意見したことで札幌が道都に選ばれたのです。

3.札幌開拓に活躍した人々

 開拓使の現地責任者に任命された島義勇(しま よしたけ)は「札幌をいずれ世界一の都にする」という野望を掲げ、札幌近郊を馬で移動しながら都作りの指揮をとっていました。しかし、積雪や食糧・馬糧の不足によって資金難に追い込まれたことで、わずか半年あまりで帰京命令が下りました。
 島の退任後、岩村通俊が後任として配属されます。岩村は、島が作成した構図を一部変更しながら都作りを進めていきました。大通公園の南側を商店街・北側を官宅地と定め、札幌中心部を碁盤の目状に作っていきました。岩村は「すすきの」「円山」「苗穂」「丘珠」「白石」の名付け親としても知られ、開拓使判官の後は初代北海道庁長官として札幌発展に大きく貢献しました。

〈開拓途中の大通公園〉
開拓途中の大通公園

 開拓使の実質的なトップは、のちに第2代内閣総理大臣となる黒田清隆でした。黒田は、海外から様々な分野の ”お雇い外国人” を招き、アメリカを手本とした開拓事業を複数展開します。札幌農学校(現在の北海道大学)を開校したクラーク博士も、このお雇い外国人の一人でした。
 黒田は、アメリカの農務省長官として活躍していたホーレス・ケプロンを日本に招くことに成功します。黒田や明治政府は、札幌を中心とした北海道全域の開拓をケプロンに全面的に託し、ケプロンの提示した給与面・生活面のあらゆる条件に献身的に応じました。
 ケプロンは、農業・漁業・道路や運河の新設等、あらゆる分野にアメリカの最先端技術を導入して北海道全域の発展を成功させます。政府内では、 ”札幌は雪が多く作物が育ちにくい” という理由から道都を室蘭に移す計画が出ていた時期もありましたが、ケプロンは「雪は作物を豊かにする。雪の下には未来がある。」と考え、札幌を道都とする計画を変更しませんでした。
 札幌の開拓に大いなる貢献を図った黒田とケプロンは ”北海道開拓の功労者” として銅像が作られ、大通公園西10丁目に展示されています。

4.わずか150年で大都市へ

 1874年、兵士に住居と未開地を与えて農業・軍事を担わせる「屯田兵制度」が採用されます。東北や北海道内の志願者965名が琴似に入植したことを皮切りに、札幌市内への移住者が瞬く間に増加しました。1890年には兵士だけでなく平民も屯田兵の対象に加えられ、屯田兵制度開始前に5万8千人であった北海道の人口は、およそ20年で42万7千人まで増加しました。
 1904年には日露戦争が勃発しますが、屯田兵制度の普及によって北海道の人口は119万2千人まで増加していました。北海道民からの徴兵で兵士を集めることが可能であることから、日露戦争が始まった同年に屯田兵制度は廃止されます。制度が廃止されるまでのおよそ30年間で、札幌市内には4つの屯田兵村(琴似、山鼻、新琴似、篠路)が誕生しました。
 1965年頃の高度経済成長期には、本州企業の札幌進出が相次ぎます。仕事を求めた人々が道内各地から札幌に押し寄せるようになり、札幌オリンピックが開催された頃、札幌の人口は初めて100万人を突破しました。その後、景気低迷や少子高齢化によって人口増加率は緩やかになりますが依然として増加し続け、2022年現在、札幌の人口は200万人に迫っています。
 開拓使からお雇い外国人、屯田兵へと札幌開拓のバトンが引き継がれていったことで、札幌はたった150年で人口200万人に迫る大都市へと急成長しました。
 「本州に比較すると北海道の歴史は浅い」といわれることもありますが、開拓から150年の間には激動の歴史が詰まっていることが分かります。 ”街を一から作り、人々を呼び込み、繁栄させる” ことがいかに難しく大変な作業であるか、北海道や札幌の歴史を学ぶことでつくづく実感できるのではないでしょうか。

 

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