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狸小路商店街の起源

投稿日|2022年8月2日

さっぽろRオフィス大通店から近い札幌狸小路商店街の起源や歴史を解説します。

1.「狸小路」の起源

 「狸小路」と言う名は明治時代の初め、屯田兵に続きやって来た庶民達が狸でも住みそうな周辺の風景と、そこに並び始めた飲食店で働く人々がつけた俗名であるそうです。

 

2.明治時代の狸小路

 1869年に明治政府が屯田兵を設置し、その2年後の1871年に札幌市へ本庁舎が移転すると、現在の南1条~南3条までの間に町屋や飲食店が建ち並び始めました。

 1873年頃には既に現在の西2丁目~西3丁目の一角を「狸小路」と呼んでいたと言います。当初はすすきのに対する歓楽街として賑わいを増していきましたが、1885年に「第一勧工場」、1892年には「札幌商館」等ができると物販販売業者も増え次第に商店街の色合いが強くなりました。

 また、1879年に現在の4丁目に建てられた「市川亭」や1892年に現在の1丁目に建てられた「札幌亭」等では寄席が行われていたそうです。

 1897年頃には1丁目~3丁目まで商店が集中しており、この時点で4丁目にはまだ空き地が目立っている状態で5丁目は1~2軒の店舗の他に官舎がある程度でしたが南1条通の「札幌一番街」に次ぎ賑やかな通りを形成していました。

 1910年には3丁目に札幌初となるビアホール「吉田ビアホール」が開店しました。

 

3.大正時代の狸小路

 大正時代に入り活動写真(今で言う映画)が活発となり1911年に札幌市初の映画常設館「第一神田館」ができ、同年開館の「松竹遊楽館」も当初芝小屋として運営していましたが1915年に活動写真へ転身をしています。

 1916年には3丁目が初めて横断街灯を設置し、5丁目・4丁目・1丁目と続きました。

 1918年の「開道五十年記念北海道博覧会」開催を契機に商店街としての連帯意識が強まり「三丁目会」を皮切りに「四丁目会」、「二丁目会」が結成され、1925年にはこれら3つの会を合わせた「狸小路聯合(れんごう)会」が発足されました。1930年には「五丁目会」、「六丁目会」も新たに加わりました。

 このように狸小路は繁華街の様相を濃くし本州からの移住者増大にあわせてぐんぐんと店舗数を増やしました。

 

4.昭和時代の狸小路

 1927年には5丁目が初めてスズランの形をした街灯「鈴蘭灯」を設置し、翌年には2丁目から6丁目まで拡大しました。この頃にはネオンが使われ始め、また1丁目から6丁目までの道路舗装も完了しました。

【狸小路の鈴蘭灯】

 こうして着々と整備が進んでいく中で「支那事変」が起こり「太平洋戦争」へと突入すると時局の悪化に伴い点灯看板やネオン、鈴蘭灯等の撤去が行われました。また「狸小路」と言う名称も不謹慎とされ「鈴蘭街」と変更された時期もありました。

 終戦直後は狸小路の創成川一帯を中心に闇市が起こり、引揚者が建物疎開跡等を利用し闇屋となりました。

 敗戦の打ちひしがれた札幌市民の気分を奮い立たせたのは闇市の活気ではなく、数こそ少なかった市電が動き続けたことや狸小路の復活だったように思えます。特に鈴蘭灯の復興は市民を安心させたのではないでしょうか。

 1949年には1丁目~8丁目で鈴蘭灯が復活しこの年の歳末大売り出しでは「現金掴み取り」が誕生しました。また、アーケードが無かった頃の冬の狸小路は狭い道路の両脇に長々と雪が積み上げられ向かいの店も見えず出入りもままならない程でした。この頃は店員総出で馬そりに雪を積み運び出したと言われています。

 1958年になると3丁目を初めとしアーケードの設置が始まり2年後の1960年には2丁目に設置をし、それにより1丁目~7丁目までが屋根付きの街路となります。

 かつて狸小路は家族の夜の散歩道でもありました。明るい照明の下を歩き、蕎麦やカレー、簡単な中華等を食べ満足して帰宅するなど憩いの場でした。

 1971年ではさっぽろ地下街(オーロラタウン・ポールタウン)がオープンしました。地下街が誕生することとなったきっかけは狸小路商店街に面するサンデパートにおいて、1964年の春に札幌駅前通の拡幅が決まった際に、お年寄りや子ども達が狸小路3丁目~4丁目を1回の青信号で渡り切れなくなることを懸念し、それなら地下街に連結道路を作り安全に渡れるようにと話題になったことが始まりでした。

【オーロラタウン】

【オーロラタウン(1971年頃)】

 1973年には「狸小路百年記念祭」を開催し、その記念として4丁目に「本陣狸大明神社」が建立されました。なお、この神社は1979年に5丁目に移設されています。

 1982年になると1丁目~6丁目までを新しいアーケードへ改修し、半円形でアーチ型の透明な屋根になりました。このアーケードはボタン1つで開閉する仕組みとなっています。

 

5.平成の狸小路

 平成になると2001年に松山中央商店街と「姉妹商店街」を締結した他に、その1年後にはアーケードに光ファイバーと無線LANによる商店街LANを構築し、監視カメラや発光ダイオード(LED)によるサインボード等を設置しました。

 コロナ禍以前では市民のそぞろ歩きや買い物の街と言うよりも観光客、中でも外国人客の姿が中心となりつつありました。老舗に代わりドラッグストアや土産品専門店等が増え、それぞれの丁目に類似の品の営業店が集まり丁目ごとの個性化も強まりました。

【狸小路1丁目(1999年頃)】

 

6.現在の狸小路

 狸小路の賑わいは札幌市の歴史の発展に関与していると言っても過言ではなく、こうした変容があってもなお道内商店街の先駆者であり、小売店憧れの地で今もあり続けているのです。また、古い伝統を維持しながら今日まで狸小路が栄えているのは戦争と言う過酷な時代も乗り越えて来た先人達の努力の賜物とも言えるでしょう。

 

狸小路の歴史を振り返って

 「狸小路」は何度も耳にしたことがあるものの、何故「狸」と付くのか、今回狸小路の歴史を辿る内にようやくその由来を知ることができました。また、様々な紆余曲折がありながらも先人達が築き上げてきたものが功を奏し、今の狸小路のかたちがあると明治時代から現在までの歴史的背景から感じます。

 昨今、新型コロナウイルスの流行に伴い人の往来が減少した時期もあったと思いますが、現在はこれまで通り飲食店等は営業を徐々に再開しコロナウイルスの波にも負けず、かつての活気を取り戻しつつあるのではないでしょうか。

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